海外生活体験者・学生インタビューvol.163

interviewees_g_152_profile.jpg 盧禹剣さん。1985年12月中国吉林省生まれ。高校卒業した19歳のときに、日本へ留学する。2年間語学学校に通い、その後早稲田大学基幹理工学部に合格し、2011年現在情報理工学科4年に在学。留学生と現地学生の情報ネットワークを築くために、中国留学生会に入り、企画責任者として国際交流イベントを多数担当する。また、父の独立を手伝い、飲食店の立ち上げにも力を入れた。

骨折とターニングポイント

―では、よろしくお願いします。高校を卒業してから、日本に留学していると聞いています。中国にいた頃はどのような生活を送っていましたか?

生まれから高校卒業まで中国に住んでいました。小学校まではのんびりしていて、人並みに勉強ができて、サッカーに打ち込んでいました。中学校に入学した直後、3日目くらいだったでしょうか、左足が折れて一ヶ月学校を休みました。骨折の治療も痛いけれど、それより13歳だった自分は強い恐怖感を覚えました。「もう人並みの勉強さえできない!」それまでの自信の基盤が崩れた記憶があります。

学校に戻ってすぐに受験のレールに乗りました。体育の時間も、休みの時間も、帰宅から寝るまでの時間も、すべて勉強に使いました。意識朦朧になってもテキスト暗記をしていた記憶があります。期末試験で学年一位を取りました。テスト勉強は私の生活の9割以上を占めていました。

その後も順位争いのテスト勉強を続けました。朝7時に学校がスタートして、24時とか26時に寝る生活でした。高校3年のときに、5年続いた受験マインドが折れました。成績順位を守るだけの勉強には耐え切れなかったです。志望大学に受かったものの、海外留学を決めました。受験しかできない自分に対して恐怖感を覚えたからです。

もう嘘はつきたくない

―子ども時代はどんな感じだったんですか?

小学校6年生まで嘘をつく子どもでしたが、ある出来事のおかげで、絶対正直者になろうと心掛けるようになりました(笑)

小学校6年間、勉強に自信があって、先生からも大きな信頼を得ていました。この子は絶対に嘘などつかないと思ってくれていました。ところが、その頃流行っていた日本製ミニ四駆がどうしても手に入れたくて。夜も寝られずにミニ四駆のことを考えていました(笑) そのあげく、「塾に行っているからお金ください」と母を騙しました。それで得たお金で買いました。

クラスの中で高価な日本製ミニ四駆を持っているのは私だけでした。しばらくして、先生に怪しがられて、買ったお金の出処を尋ねられました。素直に嘘を認めることができずに、さらに友だちに嘘をつかせました。その友だちが貸してくれたと口裏を合わせたのですが、とうとう先生に真実がばれました。その結果、私は親、先生の信頼を失い、友立ちにも敬遠されたのです。

嘘をつかれて人はどれほど傷づくか、他人の信頼を失うことはどれほど心細いのか、嫌というほど知りました。それ以降、何があっても真実を相手に伝えて、自分の責任をしっかり取ろうと思っています。

日本社会への窓口になりたい

―日本語はどうやって勉強しましたか?

大学に入るまで、2年間日本語学校に通いました。平仮名から文法、作文など、体系的に日本語の基礎を学びました。今は英語で受験し、大学へ入学してから日本語を学ぶ学生もいます。「2年も語学学校に行っていたの?」と反対する声もあるかもしれません。しかし、日本で自分の基盤を築いていく上で、根幹である日本語に2年間集中して向き合えて、私は得した気がします。

―母国を離れて海外で頑張るモチベーションは何ですか。

両親は、私が中学校の頃、来日しました。仕送りをもらい、金銭上憂いのない生活を送っていました。裕福な家庭という自分の幻想が来日後すぐに崩れました。両親の住まいの環境、働く環境を目の当たりにしたからです。特に、両親は日本語が話せないため、生活上の不便も数多くありました。自分のために、我慢してくれたのがよく分かりました。それからは親と日本社会につなぐパイプになろうと思ったのです。

日本でもう一度生活のベースを築きたいと思いました。19年間自分と関わった人たちから、地理的に分断されました。友情、信頼などは限定的な人の感情にしか生きていません。その土壌から離れた自分はすべて失った気がしました。言葉も分からない私は日本の社会との壁も感じました。しかし、「またゼロから始めればいい」という楽観的な考えがあったから、カギとなる日本語を学ぶ気持ちが強まりました。

大きな結果を残したい

―将来どのような人間になりたいですか。

どんな相手でも、自分の味方につけ、大きな結果を残すことのできる人になりたい。なぜそれが目的かというと、起業活動を通じて自分の限界を感じたからです。より大きなことを成し遂げるには、自分の限界を突破しなくてはならないと考えました。

就職活動を通じて、「人を巻き込んで、結果を出す」ことの厳しさとその価値を感じました。就職活動仲間、OB、社員、役員をなんとしても、味方につけないと次に進めないと思いました。絶対に逃げてはいけません。それが私にとって大きな挑戦であり、その挑戦の中で辛いことも多々ありました。しかし、ブレークスルーを達成できたときの喜びは、もう言葉に出来ませんでした。辛いときもありますが、私はこの生き方を選びたいと思いました。

留学生大学入試・合格体験記vol.2
http://www.rtnproject.com/2011/09/vol2.html

インタビューアから一言

国際交流イベントや飲食店の立ち上げなど、様々なことに熱心に活動されている方で、とても真面目なひとという印象を受けました。お話を聞いていると、彼の心がとても広いということが分かりました。「大きな結果を残すことのできる人になる」という将来に向かって、これからも幾度とない壁を超えていって欲しいと思います。まだまだ話足りないので、また熱く話しましょう!インタビューに応じていただき、ありがとうございました。これからの活躍に期待しています!

interviewees_g_135_2_profile.jpg 古屋開。1990年ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。生後1年で帰国した後、小学6年から中学3年まで父の転勤で再びドイツへ。4年間フランクフルト 日本人国際学校へ通う。帰国入試で学芸大学附属大泉校舎へ入学し、現在は中央大学法学部国際企業関係法学科3年に在学。大学では、「飢餓で苦しむ途上国と 肥満で悩む先進国」のフードバランスを整えるTABLE FOR TWO中央大学の代表を務める。