活動報告「世界の学校から」vol.32 浅野卓也

今回は、早稲田大学教育学部複合文化学科3年の浅野卓也さんに、アメリカ・コネチカット州のGreenwich High Schoolをご紹介いただきます。Greenwichは、日系企業の多くがオフィスを構えるマンハッタンのグランドセントラル駅から、メトロ・ノースのニューヘブン線で約1時間。多くの日本人駐在員の方が住んでいる街です。アメリカ有数の高級住宅街として知られ、有名な実業家やミュージシャンも在住し、映画の撮影地としてご存知の方も多いと思います。

浅野卓也さん。1989年東京生まれ。小学校、中学校ともに地元の公立校に通う。2004年、9年生の開始に合わせ渡米。アメリカ・コネチカット州のGreenwich High Schoolを卒業後、帰国する。現在は早稲田大学教育学部複合文化学科に在籍。第2外国語はスペイン語を選択。課外活動ではゴルフサークルに所属し、年2回のリーグ戦にむけて日々練習を重ねている。

活動報告

グリニッヂの街

アメリカ合衆国コネチカット州南西部、フェアフィールド郡に位置し、イーストコーストのビバリーヒルズと称されるグリニッヂ。アメリカ有数の高級住宅地として有名で、かつてデザイナーのトミー・ヒルフィガーや歌手のダイアナ・ロスなども在住していたと言われている。『レボリューショナリー・ロード』や『グッド・シェパード』など、多くの映画の撮影地としても使用されている。

report_s32asano1.jpg 駅のそばには、Greenwich Avenueという、高級ブティックやレストラン、ジュエリーショップ、インテリアショップなどが建ち並ぶ有名な通りがある。この通りにはいくつかの交差点があるのだが、信号は1つも存在しない。美観を損ねるという理由から、ポリスの手旗信号のみにより、誘導されている。街はずれには静かな入り江もあり、夕暮れ時は水辺に太陽が沈んでいく様が何とも美しい。

そんなグリニッヂは多くの日本人駐在員が住んでいる街でもある。日系企業の多くがオフィスを構えるマンハッタンにあるグランドセントラル駅から、メトロ・ノースのニューヘブン線で約1時間。数少ない日本人学校があることもあり、子どもが小学生以上のひとはこの地に住むことも多い。自然豊かで治安も良いことから、公立学校の教育水準も高く、最近では多くの日本人も現地校に通っている。

Greenwich High School

私が卒業したGreenwich High Schoolは、Central Middle School、Eastern Middle School、Western Middle Schoolの3つの公立中学校出身者から構成される、この街唯一の公立高校である。全校生徒数は約2700人、教員数も約200人と、非常に大規模な高校である。その他にも、カストディアンやセキュリティガードも常駐している。多くの生徒が集うスチューデント・センターには、生徒の出身国を示す50以上もの国旗が翻っているが、その中でもヨーロッパ系移民(白人)の占める割合が約8割と非常に多いのが特徴的だ。 report_s32asano3.jpg

学校には5つのハウス、Bella、Cantor、Clark、Folsom、Sheldonがあり、生徒はいずれかのハウスに配属される。ハウスには、ハウスマスターと数人のガイダンスカウンセラー、ソーシャルワーカー、サイコロジストが常駐しており、各生徒の履修管理や進路相談はもちろん、時にはメンタルケアにも関わっている。

学校の設備も素晴らしい。温水プールはもちろん、人工芝のフィールドが5面と、天然芝の野球フィールドが2面ある。特に有名なのが、Greenwich High School出身の元プロフットボール選手が寄付したことで知られるウェイトルームで、フェアフィールド郡でも1番とされる。その他にも、コンサートホールとして使用可能なオーディトリウムや最新機器が並ぶメディアセンターも兼ね備え、とても公立校とは思えない環境が用意されている。

単位制の学習コースも実に選択肢が多様である。主要5科目の中でも自らのレベルに合致したコースの選択ができるのだが、体育、美術、家庭科、テクノロジー、シアターアート、音楽、メディアなど、それぞれの分野の中でさらに専門分野に分かれたコースが用意されており、選択授業の種類は豊富である。私がグラフィック・デザインの授業を履修した際には、最新のマッキントッシュ・コンピューターが30台ほど用意されていた。

学校では車社会アメリカのスケールも感じ取ることができる。コネチカット州では16歳から運転免許を取得できるため、最高学年になると車で学校へ行く許可がおりる。私は昔から車が大好きだったこともあり、16歳になると早々に免許を取得した。最高学年になって車で通学できた1年間は、本当に素晴らしい体験だった。

高校生活 ~学業編~

授業の選択は、基本的に自分で決めることができるため、色々な授業を履修した。主要5科目の他にも、クレイ、ギター、コンピュター・グラフィックなどの授業もとった。アートや理科の教室は、他のアカデミックな授業が行われる場所とは離れたところにあり、教室の移動が大変だったのを覚えている。なにせ2700人いる学校。もみくちゃになりながら、授業に遅れないよう必死に教室移動をしていたことも今では懐かしい。慣れてくると、廊下ですれ違う友人とハンドシェイクをすることが増え、ちょっとしたコミュニケーションの大切さを感じた。ハンドシェイクやハグを盛んにする文化は日本にはないが、アメリカで感じた良い文化の1つだと私は考える。

英語の授業に限ってだが、私はESLと呼ばれる英語が第2言語の生徒が配属されるクラスに3年間在籍した。Greenwich High SchoolのESLは非常に充実しており、4つのレベルのクラスが用意されている。先生たちも非常に真摯な姿勢で学生に対応してくれた。授業カリキュラムも充実しており、最後の年にレギュラーの英語のクラスを取った際も、特に差を感じなかった。

アメリカの高校で特徴的なのは、やはりエッセイを頻繁に書かされることである。常に自分の意見が求められ、私はエッセイを通してその作業を行うのが比較的好きだった。書き方のフォーマットが明確で、シンプルであることから、書きやすかったのかもしれない。

このように、日々各科目から山のような宿題が課されるため、夜遅くまで課題と格闘していたことも鮮明に覚えている。しかし、単位制であったことから、年次が上がるにつれ、いわゆる「オープンブロック」を作ることができる。学校にいる間に課題を終わらせることも出来るようになり、余裕も生まれていった。レギュラーのクラスの多くでは、金曜日は穏やかな授業が多かった。先生たちも休日前とあり、「Oh It’s Friday」 と、気楽にいこう! という感じだった。週末に宿題を出さない先生も多く、この言葉を授業中に聞くのが大好きだった。華金とはまさにこのことだ。

高校生活 ~課外活動編~

report_s32asano4.jpg 4年間学校のサッカー部に所属していた。日本と違い、アメリカでは部活動はシーズン制である。毎年チームに入るためにトライアウトを通過しなければならない。サッカーはアメリカの学校において花形であるアメリカンフットボールと同シーズンに行われる。人気では劣るが、それでも非常に多くの生徒がトライアウトに参加していた。全ての人にチャンスが与えられるというアメリカのイメージは、このような部分にも現れているのかもしれない。8月から11月末までの約4か月間という短い期間ではあるが、毎年この時期を楽しみにしていた。

私が最高学年になった年、チームはフェアフィールド郡で優勝を果たした。一昨年前に、チームの主力メンバーが10人近く抜けたこともあり、周りからは“rebuilding year”と言われていた中での功績だった。この年は、これまでにないほどチームに一体感があった。仲良くしていたイスラエル人のチームメイトは、なかなか試合に出る機会が与えられない中、ビデオで試合を撮影し、得点シーンをYoutubeにアップロードしてくれた。今でもこれは最高の思い出である。


Takuya Asano amazing goal
http://www.youtube.com/watch?v=bqV_BS0v78E


GHS vs Trumbull FCIAC Semi-Finals October 31st 2007 (4-3)pks
http://www.youtube.com/watch?v=FkZZS0-vlEY&feature=related


また、この年はサッカー部のチームメイトの家で行われるディナーパーティなどにも積極的に参加した。さすが高級住宅地。招待される家には高級車が最低2台。壮大な庭にはプールが完備されている家もあった。キッチンには大量のケータリングが並べられており、チームメイトと他愛もない会話をしながらピザやパスタをほおばっていた。

地域と部活の繋がりも強く、試合などの結果は地域新聞に掲載されていた。試合の次の日でオフのときは、必ず学校帰りに図書館で新聞を見ていた。誰のインタビューが掲載されているか、どのような写真が載せられているか、チームメイト間でよく話題になっていたからだ。このように地域を挙げて地元の高校のスポーツチームを応援しているのは素晴らしいと思った。この年はESLを抜けたこともあり、サッカー部の友人と授業が重なることも多く、部活外でのコミュニケーションも増えた。最後まで完璧なコミュニケーションを取れない自分に不甲斐なさを感じていたこともあったが、サッカーというスポーツを通じて、現地の友人とコミュニケーションを取れたことは貴重な経験だった。

最後に

卒業してしばらく経ってから、このように高校生活を振り返ると、自分自身がいかに素晴らしい環境にいたのか、改めて考えさせられる。行った先がたまたまGreenwich High Schoolで、特に他と比べることなく4年間を過ごしてきた。しかし今思えば、驚くほど設備が整った学校に当たり前のように通えていたことが奇跡のようである。またアメリカを訪れたときには、必ずこの懐かしの地を訪ねたい。 report_s32asano2.jpg

Greenwich High School :
http://www.greenwichschools.org/page.cfm?p=20