活動報告 「世界の学校から」vol.36 伊藤耕平

今回は、立教大学経済学部3年の伊藤耕平さんに、シンガポールのOverseas Family SchoolとSingapore American Schoolをご紹介いただきます。シンガポールの国名の由来は、サンスクリット語で「ライオンの町」。赤道近くの常夏の小さな島です。大きさは東京の23区とほぼ同じ面積ですが、人口は約470万人と、世界第2位の人口密度を誇る都市国家です。彼が大学で開発経済を志すきっかけについても伺います。

interviewees_g_154_profile.jpg 伊藤耕平さん。1989年埼玉県生まれ。1歳からシンガポールで過ごし、5歳で帰国。中学1年の夏に再度シンガポールへ渡り、中学・高校時代を過ごす。Singapore American School卒業後、帰国し、立教大学へ入学、現在経済学部3年に在籍。開発経済学に興味があったため、現在はアジアの開発経済のゼミに所属し、行政機関やNPO団体等に研究発表等を行っている。

活動報告

私は中学1年生の一学期を終えてからすぐにシンガポールに渡りました。それから高校を卒業するまでシンガポールで生活していました。中学校はOverseas Family Schoolというインターナショナル・スクールに通い、卒業と同時にSingapore American Schoolという高校に通い卒業しました。

シンガポールの街

シンガポールは東南アジアにある国の一つで、マレーシアの真下に位置する小さな国です。大きさは東京の23区とほぼ同じ面積で、人口は約470万人と人口密度の高さは世界第2位。人口の大多数は中華圏からの移住民ですが、他にもマレーシア、インド、インドネシア、ヨーロッパ諸国と、多種多様な人々が生活しています。これらの影響から中華街は香港のような色鮮やかな街並みになっており、リトルインディアという地域にはインド式の寺院などが点在しています。シンガポールは国際色豊かな文化由来の建物が各地に点在し、少し移動するだけで全く違う街の雰囲気を楽しむことができます。これが魅力の一つとなっています。

シンガポールの公用語は英語ですが、彼らの使う英語は東南アジア諸国独特のなまりや言い回しが多用されており、Singlishと呼ばれています。代表的なシングリッシュの例に、文の語尾につけられて強調を表す’lah’、’leh’というものが用いられます。これは日本語でいう「~だよ」のようなニュアンスで使われています。

シンガポールに来る観光客の目的は、主にショッピングと常夏リゾートの満喫です。貿易で栄え経済成長を遂げた街には、海外有名ブランドの支店が多く存在し、ショッピングを楽しむことができます。特にオーチャードロードと呼ばれるシンガポールで最も栄えている通りには、大型のショッピングモールと高級ホテルが多く集まっているため、通りは地元住民、観光客、ビジネスマンで溢れ返り、ニューヨークのようになっています。 report_s36itoh1.jpg

もう一つの魅力はリゾートとしてのシンガポールです。気候は赤道直下に位置するため、一年を通じて高温かつ多湿である常夏の島です。そのため、ビーチにはBBQやアクティビティを楽しむ人たちで溢れています。セントーサと呼ばれるシンガポールの離れ島があり、そこにはホテル、水族館、出店の他にゴーカートなどができる施設がそろっており、島全体がリゾートになっています。

Overseas Family School

最初に通った中学は小学校から高校まであり、全校生徒は約3500人の学校です。校舎はオーチャードロードのすぐ近くにあり、仲良くなった友人とよく遊びに行ったことを覚えています。私はそこに2年間通いました。初めはThe Study Preparation Programmeという英語に慣れていない学生に対して設けられたクラスに参加しました。そのクラスは3段階に分かれていて、数学や社会科もそのクラスメートだけで授業を行い、レベル3まで上がるとネイティブの生徒と同じ授業を受けられるようになります。私は英語の基礎をそこで学びました。

report_s36itoh2.jpg インターナショナル・スクールであるOFSにはUN Night (United Nations Night)と呼ばれる学芸会のような行事があります。国連加盟国すべての旗を掲げて始まるその行事では、世界各国の伝統文化の出し物を生徒が行います。北欧の伝統音楽の発表や日本食の模擬店、中にはオールブラックスのハカを披露している学生もいました。国際色豊かで他国の文化を尊重する環境の中で、初めて自分が日本人であるという意思を強く持ちました。


Singapore American School

Singapore American SchoolもOFSと同じように小学校から高校まであり、3600人以上の生徒が学校に通っています。学生の約7割がアメリカのパスポートを保有しており、ほとんどの学生はアメリカ人でした。校舎はWoodlands Streetというシンガポールのほぼ最北端に位置していました。私が住んでいた場所はシンガポールの南部にあったので、毎日シンガポールを縦断していました。とは言え小さな国なので、家から学校までは片道1時間です。

大きな敷地に多くの施設が設置されており、とても充実した学生生活を送りました。サッカー場が3つ、野球場に、陸上トラックに、トレーニングようのジムが1つ、プールが2つ、それにテニスコートが校舎の屋上に設置されていました。サッカークラブに入っていた私は、そのサッカー場でよくサッカーをしていました。カフェテリアと呼ばれる食堂の壁はガラス張りになっており、そこからサッカー場が見渡せました。そのカフェテリアには日本の大学によくある専用の生協のようなものがあり、さらにSubwayやシンガポールで流行っていた野菜ジュースのお店もありました。

SASでもOFSと同じように、まだ英語に慣れていない学生に向けて行われているESLというプログラムに参加し、10年生のときにそこから卒業しました。私と同じようにOFSから転校してSASに通い始めた学生が何人かいたので、友だちに困ることはありませんでした。 report_s36itoh3.jpg

SASはシンガポールでは優秀で有名な学校でした。私と同じ学年にはスタンフォードやオックス―フォードに行く学生もいました。特に驚いたのは、私が転校したときに、シンガポールの首相であったリー・クアンユーのお孫さんが在籍していたことです。彼は4年生だったので、私が入学して1年で卒業してしまい、直接話したことがありませんが、彼の話を聞くことはよくありました。なぜなら彼は生徒会長だったからです。学校の行事が行われるたびに、生徒を代表してスピーチを行っており、内容も人柄も申し分のないほど立派な方だということが容易に伺えました。

私は現在大学のゼミで開発経済を学んでいます。そのきっかけが、この学校で受講したソーシャルスタディーズの先生の存在でした。彼は自分の収入の1割を毎月途上国の貧困解決のために寄付しているそうです。東南アジアのある貧困国で、現地に住む人たちの家を建てるというプログラムに参加したときに思い立ったそうです。

プラグラムが進み、家が建ち、最後の懇親会のとき、そこに参加していた学生が、そのときにもらったお小遣いで、インストラクターの人へお礼をしようという話になったときのことです。インストラクターの方にはお子さんがいたので、おもちゃの家を買ってプレゼントしたところ、そのおもちゃは彼にとっては1年働いてやっと購入できるほどの金額だったらしく、泣き出してしまったそうです。

その話を先生が涙を流しながら話していたことは今でも忘れられません。その授業のプロジェクトで初めて南北格差に興味を持ち、ジョセフ・E・スティングリッツが書いた“How To Make Globalization Work”という本を読み、開発経済に興味を持ちました。

最後に

“There is always be good life to good people”。 一語一句覚えているわけではありませんが、高校の卒業式のときに校長先生が卒業生に贈ってくださった言葉です。そのとき“Good people”とはどのような人を指しているのか分かりませんでした。それから日本に帰り、大学に通い、様々な人と出会い、様々な経験を経て、ようやく“Good people”というのがどのような人たちのことを指していたのか少し分かり始めた気がします。

それは他人を素直に尊敬し主体的に行動が出来る人です。言葉にすると簡単に聞こえるかもしれませんが、それはとても難しいことだと思います。それができる人間になるための方法はたくさんあると思いますが、通っていた学校はその近道を提供してくれていたと思います。国際社会の中で多くの人と交流し、学問や芸術を学び、スポーツや社会貢献活動に参加すること。それを通して人として成長していくこと。その全てを享受できたとは言えませんが、そのCorner Stoneを得られたことを幸福に思います。

Overseas Family School :
http://www.ofs.edu.sg/
Singapore American School :
http://www.sas.edu.sg/