帰国子女大学入試・合格体験記vol.64

kana_yamase.jpg 山瀬加奈さん。1991年生まれ。東京都出身。中学1年から高校卒業まで、アメリカのワシントン州Bellevue市で暮らし、Interlake High Schoolを卒業する。10年4月、明治大学国際日本学部国際日本学科に入学し、現在3年に在学。日本文化コース所属、教職課程(英語)を履修中。第二言語習得論を学ぶゼミのゼミ長、ダンスサークルの幹事長、国際交流学生委員会の留学生サポートコーディネーター、オープンキャンパスのスタッフを務める。

【はじめに】

私は、父の海外転勤によりアメリカに4年10カ月滞在し、中高を卒業しました。転勤が決まった当初は、「5年」というタイムリミットが設定されていたので、将来日本に戻るという前提、日本の大学へ進学するのは当たり前という意識で渡米しました。実際にアメリカに住んでみても、日本のことを考えない日はなく、「私には日本の大学しかない!」という思いは強くなりました。

【辛かった英語】

急な環境の変化に対応できず、1、2年目は毎日のようにカルチャーショックや言葉の壁に泣きながら過ごしました。現地校の文学の授業では、日本語訳の本を利用し、誰とも話さず、日本語の音楽を聴いて日本語の漫画や本を常に読んでいるという状態。英語が大嫌いで大の苦手でした。高校に入ってからSATやTOEFL等の対策をしてくれる日本人の運営する塾に通い始めましたが、そこの課題も大嫌いで、ぎりぎりまで取り組まない始末でした。後から思うともったいないと思うほど、「日本人化」していたのです。

当時抱いていた将来の夢はデザインやアート関係。美術の授業は英語で話したり聞いたりすることがあまりなく、毎週の楽しみでした。希望する大学も、工芸大や多摩美といった美大ばかりを考えていました。

高校2年の夏、そんな私に転機が訪れました。一時帰国をして、予備校の帰国子女の夏季集中授業を体験したときです。そこで自分の大学受験に対する意識の低さにショックと恥じらいを感じ、焦りを抱くようになりました。


英語で勝負ができない

強い苦手意識を持ちながら、それを武器に受験勉強をするのは難しいことです。少しずつ苦手意識をなくしていこう考えで、自分にできることから、SATやTOEFLの勉強を始めました。しかし、私が何に一番力を入れたかというと、現地校における「GPA・内申点」「課外活動」です。

私は、英語が他の学生より劣っていても、頑張って理解して学ぼうと努力する姿勢を自然と1,2年目の間に身につけていました。たとえ人前で話せなくても、宿題の提出率や出席率から高得点をもらうことが多く、成績も良好でした。そして、話すことにチャレンジしていくと同時に成績はさらに上がり、表彰されたりするようになったのです。

母に「もらった賞状は帰国入試やAO入試でアピールポイントになるから」と言われ、自分の成績が良くなるように学校の授業に真剣に取り組みました。放課後には毎日先生に授業でわからなかったところを聞きに行き、復習をするようになりました。日本語補習学校の授業も、日本の大学に進学後、一般の学生に遅れを取らないようにと、予習復習をするようになりました。

また、高校入学後は部活動やボランティアを始め、そこでも入賞したり、4年次には部長を務めたりして、課外活動の経験も積んでいきました。引きこもり?だった1、2年とずいぶんと変わって、どんどん外に出て新しいことに挑戦するようになったのです。

これらの経験は、気づいたら自分の英語力の向上につながっており、志願する大学に対するいいアピールになり、面接において使える話の材料になっていました。そして、自分のノートや教え方のわかりやすさが褒められるようになり、教育関係の学部に興味を持ちだしました。志望大学も美大系から教育系の大学へと変わったのです。

ちなみに、私は自分の英語力に対してとても劣等感を抱いていましたが、いざ日本に帰ってみると、予想以上に自分の「武器」になっていました。学部でも英語の成績は上位です。そう考えると、英語に対するコンプレックスは、それほどネガティブに考えなくてもよいかもしれません。


もっと上を目指していい

帰国してすぐ予備校の海外帰国生コースに入塾しました。周りのクラスメイトの志望する大学が早慶、MARCHであることに衝撃を受け、「私はそんなとこ入れっこない」というスタンスで最初は勉強していましたが、気づいたら流れに乗って9月に早稲田の試験を受けていました。

結果は不合格。しかし、この頃、アメリカにいるころの私は絶対に考えていなかった、MARCH受験を決めていました。自分の予備校での努力が、クラスのレベルアップという形で現れたからです。1つ上のレベルに上がると、周りはもはや東大や一橋といった国立大を狙う人が出て来て、「じゃあ、このクラスに上がれた私は、MARCHを狙っても入れるのかもしれない」と感じました。そして、先生になりたいという意思がはっきりしたこともあり、第一志望校が決まりました。明治大学の国際日本学部です。

はじめてのコーヒー

そうとなれば本気で取り組まねばなりません。慶應や学習院、ICUなど次々に落ちていくひともいれば、すんなり合格して9月を最後に塾をやめていってしまうひともいます。私は他の受験生に比べて受験数が圧倒的に少なく、周りの人を見て焦りばかり感じていました。

英語以外でその時点から何をがんばればいいのか。そう考えた時、配布資料の山に気づきます。自分には知識が足りない。小論文を書く力が足りない。それから明大の受験日まで、毎日、授業で配られた配布資料や購入した新書・本・雑誌を自分なりの言葉に置き換えたり、ネットを使って詳しく調べたりして、最終的にまとめてノートに書くという「Clarify Series」の作成を始めました。

一度受けた授業内容を2回、3回と見直し、手で書いてみると、自然と頭の中に知識が入っていきました。授業の休み時間や放課後に一人でただひたすら書き、親戚の助教授やスカイプ越しに父親に特別授業をしてもらいました。生まれて初めてコーヒーを飲んで、深夜まで取り組むこともありました。一通り終わった頃に、小論文の書き直しを始め、先生に頻繁に見てもらうようになりました。漢字ドリルを買って、漢字をひたすら書く日もありました。

受験校の絞り込み

一時帰国した高校2年のときにいくつか母と大学をまわりましたが、そのときはまだ志望校は決まっていませんでした。帰国してからは、自分でサイトやパンフレットで調べ、受験を考えた大学へは個人的に赴いたり、学祭やオープンキャンパスに行ったりしました。そこで学生に話しかけたり、学食を体験したり、たくさん質問したり、そこにいる自分の姿を想像しました。

大学で生かせる能力

大学に入ってから、帰国子女入試のために準備してきた小論文に対する知識を、驚くほど使うようになりました。受験時代に作成した資料をまとめたノートは、クラスでリサーチやディスカッション、ディベートをする際の基礎知識や基盤になり、そのあとの作業が他の一般学生に比べて楽でした。期末に提出するレポートも、2000字以内でまとめる方法や構成に慣れていることから、書きやすさすら感じることができました。

帰国子女入試で身につくものは、一般入試と比べて、大学に入ってからも使えることが多々あります。全ての入試に言えることですが、予備校の講義や教科書だけでなく、受験というのは結局は自分との闘いです。やると決めたら最後まで諦めない。それが、私からのアドバイスです。

Interlake High School :
http://www.bsd405.org/schools/high-schools/interlake.aspx